おぼえがき

なにをかいわんや

携帯電話を地面に落とした

6月かー。雑記。

 

ガラスが割れ!

先週、職場で使っているiPadの画面が割れた。

執行人は私ではなく、私の荷物を代わりに運んでくれようとした同僚だった。セメントの床に直下したiPadは、かねてから複数回チキバンバンバンと落としていたにも関わらず、この一発で画面左上にヒビを作った。

別に多少画面が割れても使えるやろ…というのが庶民スタンダードだが、なんせ備品なので始末書を作った(割った人が)。

仕事上、特に何の不便もないし同僚がすまなさそうにしてるのが気の毒だったが、それとは関係なく私の中で「来てる」感みたいなのがあった。私の身の回りの家電が壊れるときは突然ではなく、なんとなく身辺や精神が整理されていないときなのだ。なにかが乱れている。この感覚はオカルトだ。

そして週末、外出からの帰りに玄関の前でiPhoneが手から滑り落ち、地面に叩きつけられた。画面はアスファルトに直撃し、ディスプレイ全面に蜘蛛の巣のようなヒビが入った。見づらい。指にはガラスの破片がザラザラと擦れた。

数年使っていた6Sで不具合が起きていたので、格安SIMで節約するか、景気良くiPhone Xにするか検討していたところなので、あまりショックではないが、身の回りのものがガンガン壊れる時期は良くない。乱れている。

 

 

日常で積み上がるぷよぷよ

iPhoneを破壊する数時間、洗濯物を干しているときにふと「私の整理がついていない。休みが欲しい」と思った。その日は日曜でさすがに休みだったのだが、ふと切実に思った。一日くらいの追加では足りない。何日か欲しい。

最近気づいたのだが、一週間くらい休むと頭がまともになる。当たり前だ。

近頃の私の脳内画面は、うまいことやって消す予定で積み上げたぷよぷよと、突然落ちてきてタスク消費を妨げるおじゃまぷよが散らばっていて、次に落ちてくる予定のぷよぷよが常に表示されているような状態だ。一度まっさらに解消したい。時間が必要だ。

ゲームのようにポーズボタンを押して離席できればいいのだけど、なかなかそうもいかない。おじゃまぷよを毎ターン表示不可能など送り込んでくる強者と試合をしていれば、あっという間にばたんきゅ〜してこの場から立ち去るが、必死で4連鎖ぐらいしていれば死なない状態なので、必死でぷよぷよを回転させ、積み上げている。頭が休まらない。タスクを抱え込みすぎなのだ。

 

 

なにもしない

じゃあすぐに全部順番にとりあえずやってみたら1日で終わるんじゃないの!という気持ちもあるのだが、確かに休日の75パーセントくらいを捧げたらかなりタスクを減らせるのだが、それは無理。活力が足りない。向き合う準備が足りない。一人で何も考えず、なにもしない時間がないと頭が干上がってしまう。

今は娯楽のために仕掛けていたことも、楽しい予定も、「観なくちゃ、返事しなきゃ、買わなきゃ、食べなきゃ…」で圧になっている!ひー。なにもしたくない!

 

iPhone XSを勢いで得る

バキバキのスマホを苦しみながら使うのもアホらしいと思ったので、月曜の仕事帰りに得た。

まず、ももクロ10周年記念展で買っていたカバーをつけ、そのまま使うのがなんとなくストレート過ぎて照れたので好きなシールでデコった(我ながらそのメンタリティはなんなのか…)

そしてバックアップを移送せずに、まっさらな端末に必要なアプリをクラウドから落としたり、いらない初期のものを消した。単に面倒なのと、過去のなにが今の私に必要なのか少し頭を冷やしたかった気がする。でもメールや連絡先も移してないのは流石に社会人として困りそう。そのうちデータは移すだろう。

画面がでかいせいか、目が乾く感覚がある。使うものの切り替え等は直感的に操作できなくて今のところ多少ストレスがあるが、文章入力は前と変わらない感覚で出来る。思えば機種変更も数年していなかったので、身体感覚と操作を結びつける作業も久しぶりだ。不快だがなぜか楽しい。

しかしなんかしばらく遊んでたら乗り物酔い的に酔ってきた。画面と目の距離感もまだ適正化されてないと思う。目が回る。

 

UIの感覚がまだフィットしない

何日か操作していて、以前の機種の操作性は、箱に入っているものを取り出したり、切り替えたり、という身体感覚があったのだが、新しいやつは水にプカプカ浮いているような感覚がある。

ホームボタンがなくなったことや指紋から顔認証になったことで、「カチッ」という感覚が「ヌルッ」「スイッ」と物事が動く感じがする。押すという感覚から撫でる感覚になった。誤動作の内容が変わり、新しい指の動きが私の身体にインストールされきってないと思う。

寝起きで枕に顔を埋めている時は顔を認識してもらえない。そうでないときも認識してから上にスワイプするのが一手間だと感じる。今のところ指紋認証の方が快適だ。身体感覚が希薄なヌルッスイッが気持ちいいと思えず、カチッと押してスイッチする感覚の方が今は染み付いているようだ。リリースされてから結構時間が経っているが、まだもっと感覚的に良くなる気がする。他のデバイスとの差異があることも含めて、地上の生活とまだフィットしてない。iPhone XSは私にとって人魚姫だ。

 

 

まとめ

日常の違和感やしがらみを処理する脳の遊びを新しいガジェットに対応するリソースに振ることでメンタルを維持してる逃避的感覚がある。オカルトから逃げている。日付付きのやるべきこともあまり減っていない。

まだ私の中で宿題は山積みだ。今ぷよぷよはどうなってる?