おぼえがき

なにをかいわんや

顔面の認知について

「一度話した人の顔と名前は絶対に忘れない。この能力に関しては自信がある。」

と、ある友人が発言した。

私はこの能力が壊滅的に低いので、どのような観点で人の顔を見ているのかとても気になった。

 

この友人と私は、面食いというか、自分にとって美しい・つくりが良いと思う顔面に対してのこだわりと情熱が人一倍ある。そして嗜好がかなり似ており、「最近気になった顔面情報」をシェアしあっている。会う頻度は高くないものの、お互いに謎の信頼感と親しみが増強されている。

なんとなく認知の世界が似ているんだろうなあと思っていたのだが、まさか、顔認知能力が正反対に振り切っているは思いもよらなかった。

 

顔の捉え方

まず名前を覚えられるか覚えられないかは単純な記憶力の問題なので、人の見た目の区別の仕方が知りたいと思い、例示として、私とよく似ていると言われる共通の友人A(どちらも直接何度も会ったことがある人)と私は似ているかを尋ねてみた。

Aは私と性格が似ており、同じものを見て似たような反応をし、似たような動きをするので、特につきあいが深い友人に似てると言われることが多い。顔の系統としてはパーツのサイズや系統が同じで、同じ化粧品を使うと同じような結果になる。

冒頭の人物は「全然「顔つき」が違うよ。似てるって言われてるのが意外」と言った。

 

もうひとつ例示をした。髪型や表情、シルエットが似ているようで、お互いによく間違って声をかけられるくらい似ている知人Bだ。

「あまり似ていない。むしろ〇〇さんに似ている」と別の人物を挙げられた。その人物とBを比較して考えてみると、顔の形やパーツの配置が似ていたので、骨格(立体)で捉えている気がした。これは大きな要素だと思う。ディレクションで捉えていない気がした。

 

一方の私は人をパーツと雰囲気をバラバラに、かつ平面的に捉えていることが多い気がする。総合的なフォルムではなく、目と眉毛、鼻の形、口周り、髪型、服装、メイク、体型、喋り方、と自分がチェックしたいポイントをバラバラと捉えている。同一平面にあまり乗ってない気がする。

そして「おっいいねー」と思ったらガン見してしっかり覚えるが、思わなかったらかなりフワッとした感じになり、「誰々に似てる」「体育会系でアンダーアーマー着てる」「コンサバ系でわりと美人」などと、既存のフォルダに雑に分類をする。客観的な造形でなく、雰囲気による記憶がかなり優位だ。

なので次に会った時に服装や人当たりの印象が違うと「この人こんな顔してたっけ…」と何回も会ってる相手にでも思う。ひどい。

そしてよく覚えてる人とそうでない人の落差が激しい。自分の興味度によってムラがある。

 

スマホの顔認証

冒頭の人物の捉え方は、スマホの顔認証に似ているのでは?と思い至った。

最近、iPhone Xを買った知人が「すっぴんと化粧後でも、シートマスクしてても認証されるんですよ!すごい」と言っていたり、アルバム機能で同一人物として分類される写真が、ヒゲを剃っても大丈夫、多少太ったり痩せたりしてても大丈夫で「なにで認識してんのかなあ」と話をしたのだが、骨格に由来する目鼻の位置や、パーツのサイズを読み取っているような気がした。

それを生身の人間が対人でやっていると思うとすごい。特殊能力だ。真似しようと思ったけど無理やん。

 

なぜ顔の好みが同じなのか

色々しつこく考えてみて、冒頭の人物と私は対人の認知の仕方が全然違うと思ったのだが、なぜ同じ顔を「良い!」と思うのだろうか。

まずは好みの問題として、心が動く系統が同じであることは確かだ。

そしてお互いにシェアする人は大抵が芸能人なので、私たちが受け取る情報は平面である写真か動画なので対面(3D)での認知ではない。トリミングの仕方も個人の裁量ではなく、カメラ越しなので同じだ。

こうやってお互いの認知の差異がない状態までフィルターにかけられて残った情報の好みが似ているから、好みが合致するのだろうか。

余談ではあるが、私たちはどちらも「自分が思うイケメン」のイラストを描くことがあるのだが、絵の内容や盛る部分が結構似ている。認知のプロセスは違えど、最終的にフィルタリングしまくった結果「ここが最高なんだよな〜」と思う内容が似通っているのはすごく面白い。

 

 

まとめ

一言に面食いと言っても、同じような顔が好きでも、実は結構考えていることが違うのめっちゃ面白いので同担の話聞くのは新たな発見があって楽しい。人間っていいな。