おぼえがき

なにをかいわんや

「美術」の人ってどんな人

ネガティブ雑記。

数週間前に最高にイライラしてるときに書いてたやつ。そんなに精神的に乱れていないときに見返したら、激しいネガティブパワーと自分が書いたもんやから共感性があって読んで元気が減退したから、ブログにはなるべく楽しい話を書いた方がいいなあと思いました。

しかしせっかく2000字くらい書いたので備忘録としておいておく。

 

 

美術は自由

広義の美術関係の職場にいるんですが、環境として職場の半数ほどの人が美術をやらない人である。美術自体に全く興味がない人もいる。とりあえず、今の職場が「美術」の看板で人を集めてお金を稼いでいることは確かである。

美術をする側じゃない同僚が、「なんだかこの職場は息がつまる。アートは自由でなくてはなあ〜僕の友人の作家連中なんか自由を謳歌しているよ。アートってのは、もっと目を輝かせてやるものではないの」と言っていた。

何に息が詰まっているのか知らないが、アートに関われば自由であると思っているようである。まあ美術は関係なく、働くのがつまらんという単純な顧客や職場環境への悪口であるが、突然槍玉に挙げられるアート。

「アート」とわざわざ英訳することにどのようなニュアンスがあるのか知らないが、この場にはないけど、自分がそうだと思ってるものが本当だと言わんばかりの、何かしらのフレーミングをしている感を覚えた。

自由を謳歌するとはなにを示しているのか。日常の中で社会的役割を果たさない特権的な立場でいられるということなのか、アートに関わることによって精神的に自由でいつも楽しそうに健やかに過ごしているように見えるのか。その「作家連中」はどのような価値観やクオリティを伴った作品をどの規模の世に放っているのか。アーティストは自由を謳歌するものなのだろうか。何をしているときに目が輝いているのか。それでお金を稼いでいるのだろうか。

発言からは何も分からなかったが、作家ってなんだろう?生き方がアーティストたる資格なのか?

アートをやらない人がアートをやる人が多い場所で息のしやすさをシェアされると思っていたのだろうか。本人の不自由さが、アートが優位である(と本人が思っている)環境では解消されるべきだと、無責任に預けられてはいないだろうか。

 

 

美術はメンヘラ

また、ある知人との雑談の中で「精神的にトラブルを抱えてる人は美術界隈に多いんじゃない?」と言われた。

本人は美術をする人ではないが、身の回りに美術を学びアウトプットする人が一般レベルよりかは多い環境にある。美術をやってる人と接していて精神的な昏さを見出したときに、他の事由ではなく「美術のせいかな」と思っているのか。その知人が接している人が作ったものをいくつか知っているが、作風が病み系の人はいない。見た目が綺麗で日常遣いに耐えうる強度を持った製品として形になっているものや、粗が目につかないように整えられているもの、鑑賞するのみの作品ではなく一般的にデザイン・工芸に属するものが多い。

作品は病んでなくても、制作者と関わる中で作った本人は病んでいる(ように見える)と、どんなやりとりの中で思ったのだろう?それは美術をやっていることが原因だと思われるのか?

私は広義で美術をやる人間だと明言してその人とプライベートで接しているのだが、あなたと話をしている私自身もなにか病んでいるように見えるのか、私が精神的に落ちているときに「あー美術をやってるからこんなこと考えるのかな」と一括りに解釈しているのか、なぜそう思うのか、と聞きたかった。

物事の理由に美術がついてくることが寂しかった。美術が嫌いなの?と思うが、彼は美術の人が作ったものが好きだ。(それの質が高いとか低いとかはこの捉え方の中であんまり関係がないので、知らん)作ったものは好きだが、作っている人は精神的に相容れないなあと思っているというのは…そんなやつに作ることを依頼して、作られたものをよく平気で使って、その上で精神病んでるとかよくもまあ言えるもんやなと、言いたくもなる。

 

 

美術は夢

作家として作品を作ることを仕事として社会人をやっている友人は、誰かに「私は作家です」と言った瞬間に「"いいですねー!才能がある人は!自分は絵を描くことが好きで、子供の頃は作家になるのが夢だったんですよね〜!あなたは夢を叶えたんですね!"的な返しをされることが多い。その相手はそうであるためになにか行動をしたことがあるのか。美術は自分にとって夢じゃなくて現実。」とのようなことを言っていた。

美術は現実という言い回しが心に残った。

職業作家の友人は何人かいるが、本人たちがそうであるためにあらゆるプロセスがあったことを、私に教えてくれる程度の一部ではあるが知っている。それは夢や才能という言葉ではなく、現実的な行動と判断や価値観、人間関係の構築、覚悟、作業によって職業作家としてある。(前提として当たり前だけど作品のクオリティは市場に耐えうる最低限以上である)

作家に対して夢・才能という言い回しを使う人たちは、ある作家から無責任で無邪気で無神経だと思われているが、その人たちは作家に対して無責任で無邪気で無神経な人間だけど才能があるから好きなことしてうまいこと生きていってるんだ、とも思っているのだろうか。ひー価値観の断裂。そんな中で美術に関わる人は責任感が欠如してて神経質で邪気にとらわれている、でも作品は好きだから使うよという人もまたいる。ひー。この話誰が幸せになるの。

 

 

まとめ

「飲みの場で野球と宗教と政治の話はするな」という古い言い回しがあるが、美術も付け加えたい。

スタンスと入れ込み方に多様性がある話題は、雑談程度の感覚で持ち込まれると、思いもよらぬところで互いに信用を欠くことにになるかもしれない。この話誰が幸せになるの。。少なくとも私は過去に軽率な場で美術談義(と言えるほども思いやりのないやりとり)をした際に、お互いの価値観の断裂にイライラした。

サンプル数が少ないし、非常に主観的ではあるが、私の身の回りに関しての美術をある程度まじめにやっていた人とまったくやってない人との解釈違いの溝は浅くない。肯定的に入って死ぬほど馬鹿にされることがとにかく多いのだ。どっちが偉いという話ではないのだが、勝手に理想化されて勝手に蔑まれている気がする。しかも作品の巧拙や内容は全く関係ないところで。なんやねん。この話はただのクソ話です。