おぼえがき

なにをかいわんや

人付き合いは難しい

年度末なので対人関係の振り返りをします。

 

私の慮りは余計であると自覚する

今年度はわりとヤバい同僚が配属されたので改めて気づいたことなのですが、普通に仕事をしていて、同僚に「これはどうか?」と思ったら、短気だと思われても良いから変に気を使わずにさっさと相手に伝えた方がいい。仕事に関して、もう判断を大きく誤るようなキャリア・働き方ではないということで。

「悪気があるわけではないよな」「まだ慣れてないしな」「次は気をつけてくれるかな」「注意するような立場・関係性じゃないし、今回は私に実害なかったし」と思って我慢していても、大抵の場合は同じようなことが繰り返される。そもそも悪気があって変な仕事の仕方する人なんて普通はそんなにいない。悪気関係なくやってるからこそ早めにそのやり方は違う!と言った方が良い。

私に実害があったときに言おう、タッグで仕事したときや、言うべき立場のときに言おう、それがフェアだよね、と考えるのだが、そういう相手と仕事をしていると、迷惑をかけられないことはほぼ無い。その人は注意される機会をもってないし(上司がんばってください)そもそも悪気はないから。

結局「迷惑待ち」みたいな状態でなんか仕事を共有して、案の定迷惑をかけられて「ほらやった!」「反省がない!」みたいな心情で、堪忍袋の緒が切れた感じで注意をすることになる。そして実害があるということでこっちも仕事が増えている。それはやはり良くなくて、リスクマネジメントできていなかったし、注意の仕方も愛がない感じになってしまう。

ムカついてる相手にものを言うのと、ムカついてない相手にものを言うことは絶対的に全てが違って、相手にもこっちがムカつきながら話しているかは伝わる。そうすると決して良い結果にはならない。自分も普通になんも思ってない人からパッと注意されたら「ああそうだな、悪かったな気をつけよう」と思うし、かなりうんざりした感じで手厳しく伝えられたら、仕事上対応できたとしても気持ちは落ち込むし、その後もわりとやりづらくなる。

 

相手がどんなにとんでもないやつだとしても、私は私でもう少しうまくやることはできたんじゃないかなあと時間が経ってから思う。そして「また迷惑なことするんちゃうか…」と思ってる相手と仕事をしてる時間もストレスになっているので、下手なことをしていると思う。

そして早めに「これはどうなん?」と話しをすれば、もし相手に事情があれば聞いた上でその後の対話ができるし、向こうも私に対して「この人はこういうことを気にする人なんだ」と思って対応してくるので、傷が深くならないかもしれない。

 

そのようなやりとりは信頼関係が出来ている相手には自然とできていて、同じ仕事を同じ責任でやっている共有感とか、これは他の人にもよくないと思われる内容やから言っとこう、単純に迷惑、と思ったらすぐ言う。相手も私に「これはやっといてください!」「それはダメだよ!」「今は迷惑だからやめて!」と伝えてくるが、それで個人的に遺恨が残るほど腹が立ったりストレスになったりすることはない。普通に仕事する。

やり方が合わねえなーと思った人をしばらく泳がせる(大概その間に心情的にイヤになる)のではなく、さっさと対話した方がお互いにとってマシなことになったのではないかなあ…と反省する部分がある。末っ子なのでよほど明確に「お前がなんとかする係だよ!」という状況でなければ、人と向き合って育てることが苦手だと思う。

 

そしてこれはプライベート、特に恋愛(友人には気を使わない程度に信頼関係がある、無理な相手とはそもそもつきあわない・恋人は期待が大きいアンド多少しんどくても嫌われたくなくて我慢しがち)に関して共通で、私は小さな違和感を持って帰りがちである。

家でこねくりまわして長期間ストレス怒り悲しみを発酵するまで溜め込んだり(時間の無駄!)、後々相手と対峙したときに逃げ場を与えない重い言い方をすることをやりがちで色々とこじれてしまうことが本当にイヤなので、「本気でムカついてくる前になんも考えずテキトーに伝える」ことをやっていきたいと思う。。

 

まとめ

自分のことも他人のことももっと信じて生きましょう。If you can’t love yourself How in the hell you gonna love somebody else?Can I get an amen? Let the music play!ですね。

節分にはキンパを作ろう

日記です。どうもブログの下書きを溜めてしまうので、どうでもいいことから投げてリハビリをするので本当にどうでもいい内容です。

 

海苔巻と選挙

昼休みにコンビニに行ったらおにぎりコーナーの布陣が変わっていた。恵方巻がメンステに並んでいたので「あ、今日は節分当日だ」と気づいた。もう2月でしかも3日だ。昨日市長選に行ったときは「2月2日夜8時までに…忘れずに…」と念じていたのに、2日の後は3日が来るということは忘れていた。

職場の近所で市長がウロウロしていたらしい。お礼参りをしているようだ。真面目に働いて納税している人間として、市内に住んでて良かった〜と思わせてくださいね〜と念を送った。本市に住んでる間ずっとほぼ同じ市長なのでなにが変わるとか変わらないとかが今後あるのか分からないが、10年以上の間で住み心地や街の様子は色々と変化しているので、私にとってイヤなこと(行政方面で)が減少するような変化を起こしてほしい。

 

450円くらいの海鮮巻きを買って職場で黙って食べようかとも考えたのだが、ふと、私個人に節分にかこつけてキンパを作って食べるという年間行事があることを思い出した。キンパは旨いけど作るのが面倒だから、きっかけがないと作らない。今日はキンパ作ろう。年に一度のキンパ制作のチャンスに期待しながら午後は働いた。

チャンスもなにも自分で全部やるんだから何の特典もないし、キンパは正味節分とあんま関係ないので、いつでも勝手に作れば良いんだけど、まあ気持ちの問題である。

 

キンパを作る

夜8時、材料を買い揃えて帰宅。炊飯器のスイッチを入れて調理開始。人参と小松菜でナムルを二種類作り、牛肉を炒める。沢庵も炒めるレシピがヒットしたので炒めた。味見をしたところ、炒めた沢庵はいつもと違う味がして旨いということを知った。

卵と米の処理を残して4行程やった時点で普段の自炊を超える面倒な作業をこなし、味見をはさみつつビールを1本飲んでいた。ここで時刻は9時過ぎ。正直なところ多少やる気がなくなってきたところで米がピーと言って炊けた。

 

キンパを作るのには2晩かかる

なんとなく卵というものは食べるタイミングで調理したほうがいいと思っているので、焼くのをやめた。米に塩や胡麻油を混ぜたものを一晩おくのもうまくない気がするので、やめた。キンパ作りは停滞した。

今から残りの数行程をする程の元気はなくなった。特に海苔に巻く作業は厳粛に行わないと、貧乏根性で具を詰めすぎて武装錬金よろしく破裂させてブチ撒けるというミスを犯しがちなので、低いモチベーションでやるべきではない。仕事じゃないことは好きなタイミングでやめていいのが良いよね…と思いながらビールを飲んだ。明日は卵焼いて米混ぜて海苔を巻くだけでキンパが食べられるのだ。予約完了しました!と脳内で陽気なポップアップを出して台所から去った。

 

まとめ

キンパ作ろうとして途中でやめました!で1200文字なの本当に話が長い。こないだ友人に「話長いですよね」と言われたけど知ってます。明日は黙ってキンパを食べます。

Hey!Say! JUMPツアーPARADEおぼえがき。12月1日京セラ・八乙女光くん28歳最後の日

12月1日、Hey!Say! JUMPの今冬のツアー、PARADEイン京セラドームに行ってきました。自分用のおぼえがきなので、レポとしてはまっっったく丁寧ではありません。ネタバレはします。

 

謎の緊張

昨年は全落したので、丸2年ぶりの現場。今ツアーの参戦はこの一回きりである。

久しぶりの現場に緊張して、開演前はワクワクどころかオドオドしていた。電車に乗ってから身分証を持っていないことに気づき、輪をかけて心持ちが穏やかでなくなった。

光くんの誕生日前日!なので、気合入れてどうみても八乙女担なまっ黄色いアウターで決め込んだのに、心中は不安いっぱいで目を白黒させていた。何故あそこまで緊張していたのか、今となってはよくわからん。

ただ、2019年12月現在、推し始めてはや4年ほどの中で、光くんのビジュアルが過去最大級にめちゃくちゃ良いことが分かっていた。

いやいつも宇宙レベルナンバーワンで最高にかわいいんだけど、私基準で瞬間最大風速が出ており、殿堂入りしてる超盛れてる写真媒体(私の担当、顔がいいのよ!と人にプレゼンするときに繰り出すとっておきのやつ)とほぼ同じ水準の顔をコンスタントにしている。

こんなコンディションの光くんを生で拝見したらどうなってしまうのか…?!という期待に体がバラバラになってしまいそうでもあった。

 

なんの問題もなく入場

座席はスタンド下段バクステ正面。んん…まあ…いいんじゃないの…。今回作った「29歳おめでとう㊗️」団扇は多分観てもらえんやろなーというという感じだったが、終わってみれば今構成においての大当たりとも言える位置であることは後述する。無事入場して座席についたときには、流石に緊張はほぐれていた。あとは観るだけである。一連だったので黙って荷物の整理をし、開演を待った。

 

みんな死んでますよ前提

いよいよスタートである。今回はネタバレを恐れてレポを全く観ていなかったので、何が起きるか全くわからん。

 

オープニングは、謎の洋館に招かれ、謎のパーティーに招かれおもてなしされる映像、アイズワイドシャット的世界観である。アイズワイドシャットの原作のタイトルは「夢小説」である…。8名の紳士的なイケメンが丁重におもてなしをしてくれて、入場の運びとなるのだが、ダブルイメージで、各メンがゴーストというかビースト的な表情を送ってくる。

各自が牙を剥いたり、舌舐めずりをしたり、品定めするような視線を送ったりしてくる。いや…あの……全員顔がいい………。

古典的などどどどど真ん中な夢々しいロマンチックな仕掛けすぎて、新奇性は全くないのだが、皆んながきちんとクオリティの高い顔をしているので、全然面白くも恥ずかしくもない。シンプルに最高。これは地味に大事である。世界観に酔える。全員顔がいい。

 

そして、8基の棺桶がステージに置いてある。

いや、死んでる…死んでる……死んでるんや……ふき…ふきんし…ん…?ではない…

死んでることが気になる…死んでる…

 

バーーーンZombie Step!!!!

やっぱ死んでた!!!!!

 

死んでる…という運びでツアーはスタートです。全部あの世です。

Zombie Stepは中締めとしてゴリゴリに演出キメて最高の衣装とメイクで見せ場としてやるかな〜どうかな〜?と思ってたので、冒頭で出てきてアガると同時に流れでわーー!とみてしまった感もある。でも最高。

二曲目はパレードが始まる。そしてウィークエンダー。最高の夏。続けてスタータイム、ファンファーレと「今は夜ですよ〜」というしっとりしたスタートである。もう死んでることは忘れた。とにかく夜だ。週末の夜なんや。

 

続けて僕はvampire。絶対やると思ってた。

このへんで「知念さんめちゃくちゃ今回見た目がよくねえか…」と気づく。

RWM、スパマン、エンタメ、バンガナ、と最高に上がりたくる連打が続く。前進してセンステあたりまで来る。とにかくSUPERMANがもう最高。DEARでゴンドラでディンディンいわしながら出てきた記憶が強く「かっこよすぎて泣いちゃう」という固定観念があったので、何度観ても最高。バンガナも観れてうれしい。このへんで死んでたことはすっかり忘れた。

 

ぷぅゾーン

序盤のアゲパートが終わり、ぷぅがデカくなりてえ…という趣旨の映像でウルぷぅと面談するパートが始まる。

本人たちが声を当ててるのだが、ぴーたんとゆーじっくの全力ぶりに笑う。光くんのイラストが重用されてることや、BESTコーナーのBGMの使用にホッコリする。ぷぅはゆるキャラとして最高なので私は全肯定しています。

京都ロフトの地下一階(改装前)で売ってそうなロンパースみたいなぷぅコスプレ衣装でメンバーが登場。頭によぎるピカチュウとかリロアンドスティッチのつなぎ的なコスチューム。ヤンキーイズムである。

そんな中、ぴーたんa.k.a光くんのお衣装は、パーマネントイエローのビッグスウェット(黒太ゴシックのP柄)にクリノリン入ってそうな水色の雲のスカート。スウェットはインしております。足元は黒スパッツにタイトなシューズで好バランス。頭にはライトグレーのお帽子(角付き)。前髪を出して、ちょんと被っている。

普通にかわいい女子じゃねえかよ…

(一応述べておくと、誰がどうという話ではなく、基本的に私は光くんに双眼鏡をロックオンしているスタイルでやっています。)

 

ぷぅの歌、はな壱もんめ、おーあい、スパデリ(台詞ゅぅゃ「こんな格好でやりたくない!」)と、かわいい尽くしの楽曲であざとさマックス。はな壱もんめのカンカンダンスみたいなのがかわいすぎて病気になるかと思った。

 

MCでは高木くんを不潔キャラにしようとする有岡さん、というべいじゃんコンビのやりとりが面白かった。かねてからJUMPの中で高木くんは実生活で友達になったとしたら正味一番面白い人だという持論があるのですが、やはりそうだよな〜と思った。言葉の返しやテンポがいつも面白いし、本人も周りも全く無理がない。人をリラックスさせたり、軽く笑わせる能力に長けてていいなあと思う。

知念さんが、各メンのお仕事系で解禁できない情報に対して「勇気を出して、言ってみよう!」と、無茶振りをして、だから言えないんだって!と突っ込まれるくだりがあった。有岡さんのウルトラマン話のときに、光くんが面白い話あるけど言っちゃダメなんだよね〜と少し触れたときに、知念さんに「言ってみよう!」と絡まれてたくだりで裕翔くんと高木くんが「光くんは言っちゃうから!そういう光くんを利用しないの!」「光くん優しいからなあ」と言葉がけしてたのが優しい世界でビッグラブ…と思った。光くんのピュアネスをニコニコ見守ってる裕翔くんと高木くんと、ニコニコしながら黙ってる光くんという構図が最高だった。。死ぬ。

 

ラメスーツは何度でも見たい

MC明け一曲目はオーマイダーリン、本公演で実質唯一のソロ。タイトな赤のラメスーツでキビキビ元気よく踊る山田さんである。最高。

後半でメンバー全員がメンカララメスーツで乱入してきて山田さんのパフォを妨害する。かわいい。ここに至るまでソロ仕事に対して色々思うところがあった山田さんの2019年の演出がコレというのは、山田担だったらどうなのかはわからんが、なんというか心の温度がゆるく暖かくていいのかなあと思ったりもした。山田さんがまるまる一人でガッツリやっても「ヒュー!最高!」で満足してたと思うが、なんかわちゃわちゃした感じでまとめてたのはかわいいなあと思いました。

アイノユウヒからの"め"の歌。めの歌、可愛すぎひん…。可愛くってごめんね、、って可愛くってなにがいけないんですかね…という脳の理解が追いつかない良さがあった。光くんのぶりっ子ダンス見るために生きてるとこあるから……じゃんぷはぶりっ子してなんぼみたいなとこあるからこういうやつは永久にやってほしい。

 

三味線、二の腕細い

Jrコーナーを挟んでの、おそらく台湾ゾーン。裕翔くんの和太鼓と光くんの三味線。今回はバンドコーナーがなかった。生楽器を演奏する緊張感はこのパートのみに集約されていた。

かつて24時間テレビで光くんが悪戦苦闘の末、パフォーマンスに挑んだと聞いたことがある三味線の演奏。ベースを弾く時と同じように、慎重に真剣に演奏に没頭する姿に「音楽に対して芯がある自分でいたい」と語る光くんの価値意識が垣間見れた。

巧拙が音で分かってしまう(たとえ演奏を一通りやることがどんなに難しくても、素人の聴衆は音を聴くだけだから、聴こえてくるもの以外のことは一切わからない!)ような逃げ場のないパフォーマンスから逃げないどころか、自分のものにするために熱意を注ぐ光くんのストイックさと嗜好性がまざまざとわかって、ああ………となりました。光くんは本当に人として内面も造りが美しくて推しがいがある…絶対今回の人生天国いくやん…。

曲後半は通常のダンスと歌のパフォーマンス。紫のノースリ和風衣装。二の腕がほっっっそい。なんだ。、内面も良ければ見た目も良いのかよ…すげえいいじゃん!

とか思ってるうちに、じわじわ不安になってくる。なんか10周年のやつを観てる気持ちが蘇ってくる。

「あれ…これPARADEツアーやんな…全然アルバムの世界観食ってないぞ…」と知らん間にフレンチコース食べてたのに懐石食べてる気分になってきて「今のとこ何曲やった?どれやってない?」と余計な心配が止まらなくなって、ラスダンあたりでなんか落ち着かなくなってきた。

 

ムビステ(ひらパートップガンみたいなやつ)出てきた

いま何分くらいたった?あとどれくらいある?と思ってたら映像演出。そろそろ中締めくるぞ…と気を取り直す。

BGMのムードから、これは、獣と薔薇が、来る!と覚悟していると、もっふもふの獣衣装のJUMPが登場。満を持してのミラワン。これだ!今回の!資金投入パート!!!

ムビステ出た!そういえばムビステ初めて観たかも!そうだっけ?!わすれた!!と思いながらとにかく座席が後方センターだったので、ありがたく見やすい位置におわします光くんにロックオンする。…なんか…上がってる…?近づいてきてる…?おお!ムビステ!という謎の感想を抱く。バクステ正面!見える!見えるぞ!

最高楽曲のミラワンから、獣と薔薇。かっこいい!かっこいい!と盛り上がっていると、光くんの角度が、変…へんに…なんだ…?と思い、双眼鏡と肉眼を切り替える、

ムビステがひらパートップガンみたいになっとる!!!縦に360度回転しとる!!

なんだこれ!?

なんにもみえねーーーーー!!!!けど、回ってる〜!!!というわけわからん「なんか起きてるぞすごい」感に包まれる。NEWSのEPCOTIAでみんな逆さ吊りになったときと同様の「観てる方はめちゃくちゃ美味しいわけではないけどなんかすごい大変そうなことしてるからテンション上がる」というへんな気持ちになる。

回転し終わり、普通に戻ったJUMPちゃん。各自戒め(シートベルト)を解いてUTAGE Tonight。もはや世界観関係ないけどめちゃくちゃいい。バクステ正面だとミラワン〜獣〜UTAGEのガンガンテンションアガるパートがストレートに楽しめるので、バクステ席は後ろだなんだを気にせず今回としては当たりだと思います!今ツアーは主に獣と薔薇をいかに享受するかみたいなとこあるもん…。満足やで。。。

 

アンコ

あまりの良さにほわほわしているうちに本編が終わり、アンコールへ。かつてのあらゆるライブとかコンサートはアンコ始まるまでわりと長くてちょっと落ち着いちゃうところがあったのだが、近年はわりとすぐに始まるのは努力の賜物だと思う。

再登場はオープニングと同じ衣装、ビシッとキメてるナポレオンジャケット。これは単なる使い回しではなく、パレードは終わらないというサインなのだ。「終わりました〜!」という武装解除のメッセージではなく、もう一度、まだ少し、というタイムリープなのだ。夜は明けないのだ。

12月の少し切なく甘いホワラ、真夜中の(夜です!)シャドボ、ドリカム(夢見ましょ)(正直ドリカム生で見れたらいつでもアガる)、スパンの短いシングルメドレー(短いっちゃ短い)(2019良曲たくさんあったから普通に長々やってくれても良かった感もあるけど来年以降も見れるならええかな)、と続き、定番のカモナ、明日エルで幕を閉じました。

なんとなく今回はあらためてカモナ光くんがとてもかわいくて「カモナの振り付けやっぱ最高やなあ…」と満足した。

が…私は個人的にずっと思っていた…

 

光くんのバースデー……

やらないの。。。。。??????????

 

やらないの。。。??やらないの。。。。????やらないの。。。。。。。??????????

 

私が高校生だったら、京セラを出たら泣いていたかもしれない。自由な金もなく、テスト期間もしくはセンター試験1ヶ月前の受験生で親に謝り倒して赤点覚悟で現場入りして、黄色い服買って、夜なべで団扇作って、体重減らして、オタクの友達と現場入りしてたら泣いてたかもしれない。

幸い大人なのでお給金をJUMPに注ぎ込んでも痛みを感じず、テストも受験もねえし、手持ちのド派手な一張羅あるし、団扇は美術マンなので20分ほどでまあまあのやつ作れて、ダイエットも失敗して、一人で現場入りしたから「ああ…やんなかったな」と静かに思ったけど…

 

なんでやらなかっ

……!!!!!!!!!!!!!!

 

 

光くんお誕生日おめでとうございます。

2019年12月の光くんは本当に本当にかっこよくて、眩しくて、かわいくて、他の何も目に入らないくらいでした。本当に光くんしか見ていないし、見ていたくなかった。何日経っても光くんを観た記憶だけでニコニコしていられるって、他のどんなことでもありえないなぁと再確認しました。

頭の形がまんまるで良くて、首がすっと伸びていて綺麗でお肌がしっとりしていて、脚がびっくりするほど長くて細くて、ただでさえ恵まれた姿を丁寧に扱って良くしていてアイドルとして本当に素敵な存在にしていることに感嘆してばかりです。

遠くても見つけやすいように綺麗な明るい髪色で、沢山ファンサして、大きい声を出して盛り上げて、美しいダンスをして、音楽に誠実で努力を惜しまなくて、、観客のほうをいつも見てくれている優しさに胸を打たれます。ひかぺと連載で優しくてかわいらしい言葉を沢山贈ってくれてありがとう。言葉を大事にしている光くんが、物量として沢山贈ろうとチャレンジしてくれた今年をリアルタイムで楽しめてラッキー!でたまらないよーー!

光くんを好きでいられて本当に楽しくて最高です。

はてなブログを読んでないだろうけど、本人に届けーーーー!!!!!!!愛してるーーーーーー!!!!!!

 

 

まとめ

終わりです!!!!!!!!!!!!

光くん大好き!!!!!!

もしも僕が、と問われた話

少し前の日記からの考え事です。

 

空論するのが好き

だらだらと非現実的な仮想の話をする友人が何人かいる。徒歩圏内の近所の人や、移動に何時間もかけないと顔を見られないような遠くに住んでいる人やら、さまざまだ。

付き合いが10年以上にもなり、昔からそんなような話を長らく続けている人も、知り合って1、2年で、つい最近になって話の内容が変わってきた人もいる。

もしもこんなことが起きたなら・出来たなら、この事象についての考察、このエピソードはどうか。共感するのしないの、想像の話を延々とする。日常には直結しない思考ゲームをだらだらと繰り返す。

ときに酒を飲み飲みやってるので頭が回らず、話が二転三転、結論は出ない。大抵は時計を見て、「もうこんな時間か」となり、しゅんっと雑に収束して終わる。メールの場合、良い頃合いでレスポンスが無くなり、ああ寝たかな、と思って話は突然終わる。どちらの場合も、後日、話の続きは大抵しない。

 

 

もしもの話

そういったコミュニケーションが好きなのだが、ある友人と園子温の映画「ヒミズ」の話をしていたとき、「もしも僕が、あなたのことを殺そうとしていたらどうしますか」という仮想のクエスチョンを投げられた。

遠距離ではなく、顔を突き合わせての対話の中である。それまで和やかに与太話を繰り返していたが、その裏で私の命をどうこうしようという意図や権利があったら…という話。なんということを聞くのだ。言葉だけで捉えると、えらいことだ。

私は即座にうまく捉えた返答ができなかった。前提条件を確認(あなたは超越的ないわゆる死神なのか、殺人をしたいマンなのか、何人かグルなのか、単独なのか、意図は何か)するくらいで、話が行き来して、いつも通りぼやけてしまった。

当たり前だが、そんなこと今までで一度も言われたことないので、不覚にも多少面食らったのかも知れない。極めて変な話題だ。

そのよくわからない仮定の問いかけの言葉が強すぎて、翌朝にチャリで職場に向かう間にも思い出された。

 

 

ほなどうなんやということを考えた

・当該の発問者が私をそうするとしたら

彼は何も意味がなければ私を殺さないと思う。その行為をすることの意味は気になる。
どうやって実行していくのか気になるから、まんまと話に乗って、うっかり実行を許すかも知れない。
その相手は私と死の話ばかりをしているのではなく、生きている中での寄り道のような話ばかりを共有している。最終目的がキルだとしたら、人の命をどうこうすることに関して、丁寧にまわりくどく仕事に取り組んでる、丁寧な死神もしくは殺人者だと思う。

それはストーリーとして面白いので、まあいいかな、どうやるの、何が起こされるのかな、と興味本位に思った。それが完遂された後、どうするのかな?とも思う。人死によって起きる様々なことはわりと大変である。それをどう処理していくのか、興味がある。なぜか私が死後の話も追うことができる想定で、映画や小説の筋を捉えているような感覚だ。

 

ここからさらに余計なことを考える。


今回の発問者ではない他の誰かが私を殺そうとしていたら

相手による。上記と同じように、意味や立場、その後のことをどうするのか興味が湧くのなら場合によっては「それで?」となるかも。

誠実な対話者だと認められる相手でなくては許さない。動機が安易・稚拙であれば許さない。なんでもかんでも奪われて良いというわけではない。
意味が薄かったり、私自身の存在に関係のない話(ただやってみたかった的な)であればなおさら許さない。無作為抽出には抵抗があるらしい。

私自身の在り方に関係があれば真意を問う。対話を試みる。なぜそうしたいのか知る権利はあるはず、だ?

しかし、そこまで他者に極端な選択肢を与えるような対応はしていないという一応の自負があるので、考え直すように説得を試みると思う。説得が成功すればよいが、失敗したら、そっと逃げる。納得感がなければ困る。


・逆に私が誰かをそうする場合
私がエージェントとして、そのような仕事を持っているなら極力淡々とやると思う。業務としてエモを持ち込むことは出来ない話だ。持ち込んだらしんどい。
やるとしたらおおごとなので、出来る限り満足のいく内容をサジェストしたいと思う。(そんなもの見つけられないだろうが…)

私事では絶対的にやらない。ハイリスクほぼノーリターンだ。実際にそうするしかないほど憎かったり・執着する相手はいない。そもそも私に人をそうする自由はないという基本理念がある。そんなことの責任とれません。

 

 

まとめ・机上の空論

会話の上ではどんなことでも成り立つ、の一段踏み込んだ話をしたことが新鮮で、あれこれ考えてしまった。

ある言葉がきっかけで、気持ちが遠いところまで行ってしまう感覚は面白い。あらゆる前提を置き去りにして、どこまでも考えが旅をしてゆき、想像し尽くして満足した(もしくは飽きた)時点でぱたっと終わる。

限りなく極端な内容だが、普段のあらゆる物事への考え方と矛盾があんまりないような気がするのも面白い。

関係のない誰かに、「もしも私が、」と問いかけてみることにも興味がある。相手とタイミングはものすごく選ぶが。

 

当該の人物からは、後日「この間は変な話をした気がします。忘れてください」と言われた。珍しく話の続きがあるパターンだった。

おちこんだりもしたけれど、

おぼえがき。

 

手に負えない憂鬱

今年の頭あたりから個人的に何かしら気分の悪いものごとを抱えており、常にわりとダウーンとしていた。

仕事中や人と会っているときは普通にしているのだが、ひとりでふとした瞬間に気持ちの整理がつかず目頭が熱くなってきたり、実際めそめそ泣いたりしていた。しかしまあ人前ではこの感じ出てないから平気平気、といなしながらやりすごしていた。(ふさぎこんでる他人を見る限り、隠しきれず多分出てたと思う。イヤだ)

一方で、自分ではどんだけ感情の押さえが効かない状態か分かっていたので、悲しみスイッチが入る話題が出そうな場や人を避けて生活していた。

 

季節はぐんぐん過ぎていき秋。そんな淀んだ生活を続けて、気づけばかなりの時間が経ってしまっていた。外界の避け方があからさまになってきて、目上の人のからの連絡や外せない要件も容赦なく完無視するというアレな状態になっていた。今思うと本当にアレである。

そのような折、ある要件をぶち抜いてることを知っている友人から「大丈夫なの?大変なら手伝うよ」と言われた。もうこれは、なんというか逃げられない、というか、いつのまにか私は私が思っているほど平気じゃないな…と思い、「わりとなにもできなくなってるので話を聞いてくれ」と恥を捨てて泣きついた。

延々あーだこーだと話を聞いてもらい、要件の現状を整理し「私がアレな感じでサボらないように見張ってください」とお願いをし、サポートしてくれると言ってもらえた。優しい。持つべきものは信頼における友達だ。それからなんとかその件は軌道に乗せられている。

 

 

アッパーに転向する

私の気持ちが閉じていただけで、まともな気持ちで話ができる友人は他にもおり、週末にあちこちに出かけたり、工作をしているうちにじわじわと元気が出てきた。楽しいと思うことが増えてきた。

そのうち元気が出すぎて、平日仕事が終わってから夜な夜な出かけては日付が変わるまで遊びたくることが恒常化してきた。翌日の仕事においては休まず朝から元気よく働いている。

ここまで書いていて我ながら呆れるのだが、完全に躁転している。試しにスケジュール帳に遊びたくった日に印をつけてみたら、先週だけで4回やっていたことがわかり唖然としているところである。頭おかしいんか。体力を削って遊んでいる。仕事も依然忙しい。それでもやるのだ。なにを考えているのだ。

 

 

当たり前だが風邪を引いた

気温がガツンと下がったこともあるが、夜中までガッツリ遊んだ翌日の月曜日、思いっきり風邪を引いた。ついに身体が「ええ加減にしろ」とメッセージを送ってきた。そらそうだ。

えらいもんで風邪を引くと普通に生きてるだけでも疲れる。働くだけでとても疲れる、疲れているから早く寝たい、今日は家にいた方がいい、と判断する日が続き、今週はまともに養生する生活をしている。

そして風邪を引くと省エネになるので、普段気を使って我慢してやっていることや、一旦考えてからレスポンスしようと思うことに関して、ものすごく雑になっている。通常なら細かい事情や相手の立場が気になってすぐに言葉が出ない場面でもすぐに反応を返したり、はたまたこだわっていたことがどうでもよくなったり、いくらでもいじくれる仕事(好きなやつ)を大事に後回しにせずササッとやって終わらせたり、人格が変わったような物事の処理をしている。一言で言えば薄情になっている。

普段は体力使ってエモくやってたんだな…としみじみ思った。対外的にこれが正しいのか無駄なのかそうでないのかはわからんが、体調が人格形成に影響しているような気がすることは面白いと感じる。

 

 

それで今後どうすんねん

鬱々とした日々をとりあえず抜け、調子に乗ってはしゃぐ状態に歯止めがかかり、風邪も快方に向かってきている。

ではこれからどうするという話なのであるが、気持ちとしてはもう少し調子に乗って体力削って楽しさに甘える生活を続けたい。ユアマイ躁躁いつもすぐそばにある…というテンションはまだ燃え残っている。

しかし躁鬱の定型で考えると、私が無事本質的に健康になっていない限り、この波が終わった後にデカめのダウンがガーーーーンと来るという知識はあるので、心のどこかで不安だ。

正月あたりにダウンが来たら来年もほぼ変わんねーじゃねーかという具合なので、なんとか本当の健康を手に入れたい。本当の健康とは。サスティナブルな元気。欲しい。

おちこんだりもしたけれど、私はとりあえずげんき寄りです。

聴覚ベースで2019年を振り返る夏休み

雑記やでな。三ヶ月前の下書き。

 

YouTube premiumに入会した

最近、遅ればせながらYouTubeに大変お世話になり始めた。

今年の夏はしょーもない悶着の末、推しの現場予定が当落以前に事実上なくなったこともあり(やってらんないわよ)なんとなくアイドル熱があがりきらず、加えて私事でなにかと気がかりやタスクがあり、思い切り羽を伸ばすこともできず、休みが多いわりにインプットもアウトプットも少なかった。それで何か脳に情報を入れないとあああたまがおかしくなる、と思い始めてから(その時点で既にややおかしいとも言える)昔のTBSラジオを夜な夜なバチボコに連続再生していた。

バックグラウンド再生が出来ないのでラジオを聴いてる間は携帯を触れない、という話を友人にしたら「えっ…premium入れば?入りなよ。」と言われた。そらそうだ。それがいい。ラジオ的にはバックグラウンドできた方が最高にありがたい。

 

YouTube premiumのおまけでYouTube musicがついてきたのだが、それがとてもよく、現状ラジオよりもmusicにお世話になってる。個人的にはじめての音楽ストリーミングサービスへの加入である。

なんとなく今まで「買いたい曲は一曲単位でも買う。欲しい曲にはストレートに課金」「まあどこもジャニーズは対応してねーもんな(これがでかい)」という気があったので、決め打ちで「どうせあと最低20回は、三週間ほどは聴きたいだろう」という曲をiTunesでひとつひとつ買っていた。

こういう挙動だと自分が好きなものしかプレイリストに入らないので「ラフにアレコレ試聴して好きになる、好きなものが増える」という感覚から離れていた気がする。かつて田舎に住んでいて、勝手に入ってくる情報も少なく、週末に他に行くところがないということもあり足繁くCD屋に行って「なんか好きな感じのやつないかな〜」と暇つぶししていた頃のそれに近い気もする。

YouTube musicは、なんとなく気になってるアーティスト、知らない間にリリースされた好きなアーティストの作品、いつのまにかデータがどっかに行った昔好きだった思い出の曲、知らなかったけど恐らくハマりそうな曲が結構な精度でサジェストされるのが楽しい。「最近の音楽()に手を出しづらい()名前は知ってるしなんとなく気になるけどわざわざ。。()」という腰の重さを打破してパッパと連続で聴かせてくれ、「あ、これ好きやな」がライトにたくさん見つかる。これが良い。

 

本質的にはいつでもガッツリなやつが心からだいすきなんですけどね

そして自分が能動的なこだわりをもって好きな音楽が自分の精神性になんしか影響を与えてるとも感じた。

たま!戸川純ももクロ岡村ちゃん!などなどがだいすき!なのはいついかなる時も変わらないが、この辺をガツガツ摂取していくと、精神がどんどん研ぎ澄まされる。精神的にドップリいかれる音楽が好きなのだ。ブッ飛ぶ感覚が強すぎてこっちのエナジーも音楽に吸われている。体力勝負な面もある。元気なアーティストはとても良いのだ。

しかし、若者の頃は持っていた過剰なエネルギーと強い気持ち強い愛を24時間キープしている体力がない今は、浸透圧で元気のいい音楽にこちらのパワーを吸い尽くされることが多い。最近和食が旨いな…と感じることと感覚的に近い。めちゃだいすきで美味しいけど、間断なく摂取できなくなっていることが悲しい。体力。

Men’s JUNANと家庭教師と夏の前日とDNA狂想曲を連続で聴きたいよな…元気の良いときは聴いてるけど…聴くと同時に淡々と作業すんのは大変…昔の私どんだけ元気やったんや…と思う。この感覚の原因は個人的に音楽にかなりテンションを憑依されるタイプだというのもあるが。なおさらどんだけ元気だったんだよ。

 

音楽っていいな

なんか今後はけっこう既に好きな音楽中心で廻していって新しいものを敬遠しちゃうのかなあという感じで、音楽全般を貪欲に元気に聴けないつまらなさを感じていた中で、ホイホイとりあえず聴くという習慣が戻ってきた感覚はとても楽しい。

10年前とかにホイホイ聴いて、とても好きになったアーティストはなんとなくなぜか当時の現行より前時代のもの中心だったで同時代性という話ではないが、、知らなかったものを知って好きになるということはいつになっても良い。この度においても昔の知らなかった良い人のいい曲を知って喜んでる。

 

まとめ

音楽っていいな、という話。

11月初旬現在はハライチと伊集院光のラジオを聴きながら眠り、日中はHey!Say! JUMPのニューアルバムPARADEを鬼リピートしながら12月の現場(光くんの誕生日公演!やばい!)を楽しみにしてる状態なのでこれを書いた頃より聴覚が雑な通常営業になってる。

Zombie Step最高!

萩尾望都の「一瞬と永遠と」の話

アーカイブスです。お仕事で若い人向けに「読書・本について」の文章を書いたときにボツにした文章が出てきた。無編集なのでですますです。

 

 

好きな人が書いた文章を読む

一番最近買った本について話をします。先日「一瞬と永遠と」という本を買いました。漫画家の萩尾望都による短編エッセイ集です。萩尾望都は私の一番好きな漫画家で、1970年代に発表された「トーマの心臓」「ポーの一族」を皮切りに、2016年の現在でも、読み終えると「ううっ…」と感嘆してしまうような、心にぐっとくる作品を発表しています。「メッシュ」と「トーマの心臓」が特に好きで、何度も読み返しています。

 

エッセイである本書は、氏の漫画作品とは違った読感が得られます。漫画においては、何層ものフィルターにかけ、精査された表現によって構成された作品世界の中に没入することができますが、エッセイでは濾過されきっていない部分があるというか、雑音や余白を感じられます。文章の中に生身の人間らしさがあるのです。しかし、やはり、表現媒体が変わっても、語調や言葉選び、ものの捉え方、考え方、リズムや構成から、確かに本人だと感じるエッセンスがにじみ出ています。


また、本書の中には、漫画作品と結びつけて楽しめるエピソードが散見されます。家族や周りの人との関係、好きな本の話、旅先での出来事、等々…。この体験があの作品に繋がったのだろうか、あの場面の背景にはこんな思いががあったのだろうかと想像しながら読むと、わくわくします。

いろんな楽しみ方ができる本なので、萩尾望都作品が好きな方は読んでみてください。

そうでなければ、皆さんが素敵だと思っているあらゆるジャンルの作家、イラストレーターやミュージシャンが、なんらかの文章を発表しているのなら、それをぜひ読んでみてください。文章から本人に思いを馳せるという点で言えば、インタビューや対談より、エッセイや小説の方が、ひとりで書いているぶん、濃度が高くて面白いです。
好きな人が書いた文章を読むということは、その人の人間的な部分を垣間見ることができ、楽しい発見のある読書体験になります。きっと、創作活動のヒントにもなります。

 

 

まとめ

読書っていいね