おぼえがき

なにをかいわんや

おちこんだりもしたけれど、

おぼえがき。

 

手に負えない憂鬱

今年の頭あたりから個人的に何かしら気分の悪いものごとを抱えており、常にわりとダウーンとしていた。

仕事中や人と会っているときは普通にしているのだが、ひとりでふとした瞬間に気持ちの整理がつかず目頭が熱くなってきたり、実際めそめそ泣いたりしていた。しかしまあ人前ではこの感じ出てないから平気平気、といなしながらやりすごしていた。(ふさぎこんでる他人を見る限り、隠しきれず多分出てたと思う。イヤだ)

一方で、自分ではどんだけ感情の押さえが効かない状態か分かっていたので、悲しみスイッチが入る話題が出そうな場や人を避けて生活していた。

 

季節はぐんぐん過ぎていき秋。そんな淀んだ生活を続けて、気づけばかなりの時間が経ってしまっていた。外界の避け方があからさまになってきて、目上の人のからの連絡や外せない要件も容赦なく完無視するというアレな状態になっていた。今思うと本当にアレである。

そのような折、ある要件をぶち抜いてることを知っている友人から「大丈夫なの?大変なら手伝うよ」と言われた。もうこれは、なんというか逃げられない、というか、いつのまにか私は私が思っているほど平気じゃないな…と思い、「わりとなにもできなくなってるので話を聞いてくれ」と恥を捨てて泣きついた。

延々あーだこーだと話を聞いてもらい、要件の現状を整理し「私がアレな感じでサボらないように見張ってください」とお願いをし、サポートしてくれると言ってもらえた。優しい。持つべきものは信頼における友達だ。それからなんとかその件は軌道に乗せられている。

 

 

アッパーに転向する

私の気持ちが閉じていただけで、まともな気持ちで話ができる友人は他にもおり、週末にあちこちに出かけたり、工作をしているうちにじわじわと元気が出てきた。楽しいと思うことが増えてきた。

そのうち元気が出すぎて、平日仕事が終わってから夜な夜な出かけては日付が変わるまで遊びたくることが恒常化してきた。翌日の仕事においては休まず朝から元気よく働いている。

ここまで書いていて我ながら呆れるのだが、完全に躁転している。試しにスケジュール帳に遊びたくった日に印をつけてみたら、先週だけで4回やっていたことがわかり唖然としているところである。頭おかしいんか。体力を削って遊んでいる。仕事も依然忙しい。それでもやるのだ。なにを考えているのだ。

 

 

当たり前だが風邪を引いた

気温がガツンと下がったこともあるが、夜中までガッツリ遊んだ翌日の月曜日、思いっきり風邪を引いた。ついに身体が「ええ加減にしろ」とメッセージを送ってきた。そらそうだ。

えらいもんで風邪を引くと普通に生きてるだけでも疲れる。働くだけでとても疲れる、疲れているから早く寝たい、今日は家にいた方がいい、と判断する日が続き、今週はまともに養生する生活をしている。

そして風邪を引くと省エネになるので、普段気を使って我慢してやっていることや、一旦考えてからレスポンスしようと思うことに関して、ものすごく雑になっている。通常なら細かい事情や相手の立場が気になってすぐに言葉が出ない場面でもすぐに反応を返したり、はたまたこだわっていたことがどうでもよくなったり、いくらでもいじくれる仕事(好きなやつ)を大事に後回しにせずササッとやって終わらせたり、人格が変わったような物事の処理をしている。一言で言えば薄情になっている。

普段は体力使ってエモくやってたんだな…としみじみ思った。対外的にこれが正しいのか無駄なのかそうでないのかはわからんが、体調が人格形成に影響しているような気がすることは面白いと感じる。

 

 

それで今後どうすんねん

鬱々とした日々をとりあえず抜け、調子に乗ってはしゃぐ状態に歯止めがかかり、風邪も快方に向かってきている。

ではこれからどうするという話なのであるが、気持ちとしてはもう少し調子に乗って体力削って楽しさに甘える生活を続けたい。ユアマイ躁躁いつもすぐそばにある…というテンションはまだ燃え残っている。

しかし躁鬱の定型で考えると、私が無事本質的に健康になっていない限り、この波が終わった後にデカめのダウンがガーーーーンと来るという知識はあるので、心のどこかで不安だ。

正月あたりにダウンが来たら来年もほぼ変わんねーじゃねーかという具合なので、なんとか本当の健康を手に入れたい。本当の健康とは。サスティナブルな元気。欲しい。

おちこんだりもしたけれど、私はとりあえずげんき寄りです。