おぼえがき

なにをかいわんや

冬が来た

おぼえがきです。

 

冬の日の入り

珍しく早めに退勤した日、帰り道にコンビニの西向きの出入り口から外に出たとき、日暮れ直前の空がくすんだ青と黄色と桃色のグラデーションになっていた。

最近は気づくとすっかり日が暮れて真っ暗になってから帰途につくので、よくよく空の様子を気にすることができていなかったが「あーまたこの季節がやってきたなー」と心がうずうずした。コンビニの駐車場で、来たなあ、これだなあ、としばらく思って、センチメンタルに空をまじまじと見つめていた。

なんでこんなに良いなーと思うのだろう。凍てつく寒さの冬、なんだかカウントがゼロに近づく冬、私が得意な季節がきたなあ、と嬉しくなった。

 

冬の方が作りやすい

個人的に、たまたまかれこれ15年くらい(ひーこわい)年末年始になんかしらの作品を作らないと死んじゃうよおという動きをほぼ毎年やっている。学校のカリキュラムに沿ってだったり、展覧会の予定があったり、自発的にもうやばい気分が煮詰まってきた!だったりしているのが、たまたま同じ時期になる。

もちろん他の季節にも、なんかしようと思ってなんかしらやっている。しかし、不思議なことに自分の中で記憶に残ったり、いい感じになったなと思うものは、冬の寒さがヒドいレベルになって、朝も寒い、夜も寒い、と震えながら作業をしたときのものが多い。不思議なもんで意図せずして季節によって調子が変わってくるようになっている。

広瀬香美が冬、TUBEが夏に強いのは世間的に知れ渡っていることだと思うが(?)、私も冬の方が断然調子が上がるという振り返りがあり、季節性の作りやすさみたいなものは確実にあると思う。

 

なんなら身体もそうなのか

少し話はズレるが、定期的になんか新鮮な気持ちで美味しいもの食べたいな…とか、この食材が沢山手に入ったからいい調理法ないかな…と思って、リサーチをすることがある。そうすると、春夏は「あれはこれが好みではない、これってめんどくさいよな」などと、心にヒットするものを見つけるのが難しい。秋冬は「あーこの調理法もいいなーこの食材も好きだなー」と、好ましいものが多くて迷う。全般的に、生食や冷菜よりも加熱調理や保存食的なものの方が作業・味覚・身体的にも無理がないので、なにかと秋冬の方が選択肢が増える。

そして私は少々暑いだけで汗をダラダラかく上に露出をしたくないので夏は身なりの選択肢が「着用感のいいTシャツみたいなやつ」「崩れないメイク」といった不本意で選択肢が狭い内容になるが、冬は中に着込んででかいゴテゴテした服着るぞ、ゴテゴテした服にあう強いメイクはなにかな、と好きな内容で工夫が出来るので選択肢が増える。

 

雲もいい

京都も急激に冷え込んできた先日、14時ごろに友人と自転車で走っていたとき「もうすっかり冬ですね。こんな時間でも陽が翳ってきたし、雲が雪雲の色をしてる」と言われた。雲の中心部は灰色というか銀色で、縁の方は明るく白くモヤモヤとしており、金属的なような、冷たくて重さのある様子だった。

冒頭の夕方の空と同じく、これだよなあという客観的に理屈づけのできない「私にとって美しく感じる、目に馴染む季節がきたなあ」という気持ちが湧いて嬉しくなった。とにかく寒いことによって起きる現象が、冬が好きなのだ。

もちろん雪など降ろうものなら夜中や早朝に無意味に散歩に出るほどはしゃいでしまう。

 

まとめ

めちゃくちゃ感覚的な話だが、ただ季節と身体と精神がビタっとハマってくるだけでなんとなくやりやすいというか、上がり調子になることはある。ここから春爛漫、花咲き誇る季節(喜ばれる時期ではあるが苦手)になるまでの数ヶ月、生きてるな〜と噛み締めながらやっていこうと思う。冬が来て嬉しい。