おぼえがき

なにをかいわんや

棚が作れない人間の気持ち

おぼえがき、兼・Twitterだとなげ〜これ人に伝える意味ね〜、けどブログだとそこまで量もないし中身ねえ〜、と思うようなものもブログで投げても良い気がした。けっこう残すか残さないか程度の作文の時間が日々ある。

2,000字超えたら残す甲斐があるみたいな感覚もあるけど、その設定がそもそも長い。というか中身などは常にない。

以下、ツイートのややリライトと、棚の話です。

 

4月の棚について〜厳しい指導者インマイマインド〜

棚を作ろうとして作れなかったので、「私は棚が作れない人間です…数日かけて計画し、十分な木材と電動工具があっても材の選び間違い・採寸失敗をし、しまいにはコーススレッドが足り無くて作業中断する人間なんです…」って泣きながら2000mmのネコのお腹に顔を埋めたい。ネコはいないので泣いてはいない。

縦軸が得意・不得意、横軸が楽しい・楽しくないのグラフを描くと、木工は完全に「不得意、楽しいと楽しくないの中間」なのですが、楽しくも楽しくなくもないのではなく、「単純に手を動かしたり考えたりするのは楽しい、けどできるようになりたいのにできなくてつらい」という双方向からの引っ張りの結果中間にあるやつです。

四の五の言わず数こなして上達しろ、という話ですね。大してやってないのにうまくやりたいとか言うな、と私にマジレスしてくる体育会系の人格、大抵いつもいるけどこの人どこから来たんだ。この人の指導方針基本的に厳しくてつきあいきれないんだよな。

ミニマルに生活をしているせいで、ついに自分の中の他人みたいな領分とのつきあいかた検討し始めてるの本当にアレだと思う。テレワークじゃないときの出勤では生身の人間との関わりをしっかり噛み締めてこようと思う。

 

その一週間後〜失敗して反省してるときの記録〜

木工すればするほど自分のことが嫌いになる。なぜ嫌いかというと、自分で「これよく考えておけば理屈としてわかるじゃないですか」というミスを大量に観測するからです。

しょぼい木材には細い木ネジじゃないとバキバキになるに決まってるだろぶっといやつを何本も打ち込むな、なんでキャスターひとつ違う種類のやつ買ってんの??そしてそれらの問題をリカバーせず、完成までもってくところが一番クズ!気づいた時点で作業を止めろ。

これ何度もやっては「向いてなさがすごい。しんどい。けど、もうわかったから次こそは…」って思っては数ヶ月後には忘れるのを繰り返しているのを思い出した。ネジひとつ選ぶのにも思考・判断・能力が必要なことを忘れてはいけない。

なお私物の場合、毎回作業は止めずにゴールしている。ゴールするな。

 

ここから最近の話〜木工得意ってな〜に?〜

先日、まともに木工ができる友人と話す機会があったので、ふと半年以上前の棚のことを思い出した。

「棚とかテーブルとか作ってる時ってどんな気分?気持ちいい?楽しい?」と聞いたら、ええ…?みたいな反応をされた。

友人は少し考えてから、「予定したことが予定通りに進む気持ちよさはある。けど作品を作るとか、絵を描いたりするときの楽しさみたいなのとはけっこう無関係ですね…」と言った。そうなの〜〜ってなった。本人はあれもこれもうまくいって最高だぜ、という快感があるのかも知れないと思っていた。ないのかよ。

たしかに私も木工棚作りには「私の実用に耐えるであろう」以上のものを生み出す喜びや興奮を期待してない。予定どおりに、正確に美しく完遂したいと思ってる。しかしそれがアホな理由でうまくいかないから変に複雑な気持ちになる。

友人は簡単な棚を作るときに、予定通りに行かない人間が持ってる不安や緊迫、そのうらはらの予想外の喜びがないと言う。要は慣れていることを慣れた手順でやっているのだ。

これは木工という分野自体がどうという話ではなく、私が不慣れで基礎力がないものに対して、非常に低いレベルでの困難やブレイクスルーを体験して、いちいち気分が振り回されているみたいな話だと思った。

要は単純にものすごく素人なんですね。「木工体験」程度のことを何度も何度もやっている。だから複雑だったり難易度の高いことをやってみようかなーとか、独自のデザインや工夫をここに入れたいなーという欲も、生まれる段階ではない。

しかしさすがに「やったことないです」をやや過ぎてるので、毎回白紙にならないで、いい加減慣れて欲しい。やったことないよりはやってんのに慣れの進展が遅いのは脳の不得意らへんの問題なんだと思う。

 

まとめ

途中で結論が出てたけど、そんなに棚が作りたいならもっと短期的に数こなせよって話だよね〜〜

絵も料理も勉強も運動も化粧も園芸も音楽もゲームもやればやったぶんだけ知識と経験と技術が心身に染み付いてわかるんだから、それと同じやろ、得意不得意以前にやってる時間が自分にとって十分ではない感です。また体育会系のセルフ指導者が出てきた。えーん威圧的でこわい。