おぼえがき

なにをかいわんや

買い物(予定)ブギ

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日記です。

 

お金の使い道が基本的にアホ

労働条件や環境がクソ腹立つし、改善の見込みも蕎麦湯程度に薄いので(風味はある)仕事これ以上やってられるかと思ってる時、労働意欲を強くキックするのは「凶悪な値段の服等が欲しい…」という物欲。劣情。

この劣情に寄り添って良いのか…資本主義の豚すぎるだろ…と思うと同時に「何もかも納得とは程遠くむかつくけど、目の前の欲しいものを買うためのお金のために働くか」と思えるくらいの軽薄さがあったほうがいいのかなと思う。

 

懐かしい感覚

コロナ禍以降、服やら化粧品を求めて買い物に行った回数は両手の指で数えられるほどで、嗜好品にがんばってお金を払う感覚が薄れていた。近所のイオンモールで韓国コスメを買ったり、服は通勤・作業以外に活用する機会が少なく、めかしこむべきタイミングがかなり減ったのと、手持ちの服あるだろ運動をしていたので本当に定期的に買わなきゃハドソンと思わなくなっていた。

しかしたまたまインスタで「おやこれは欲しいな、カチッとした仕事にも着て行けて好きなデザインの服買い足そうと思ってたんだよな」と思う服が目に入ったので、かなり久々に、かつて時折感じていたむくむくと湧き上がる「ちょっと無理してでも欲しさ」にとらわれた。

職業に対してプロ意識・倫理観・モチベーション・発展性・長期継続性を持ち込むと、私の人生このままでいいのか…と話がややこしくなってくるが、いまの働き方でこれ買っても即死しないから買いてえな!という豚度の高い思考に持ち込むと、不思議と納得度が出てくる。我ながら徳が低い。

 

イッセイミヤケの服が欲しい

本件で欲しい服、家電なのかなと思うくらい高価なので(その中にそれだけの価値があるのはめちゃくちゃわかる)しばらく緊縮財政待ったなしになるけど欲しい。セットアップで欲しい。とはいえ贅沢品なので固定費や無駄遣いを減らす算段しようかなと思う。

基本的にリアリティのないマインドなので、貯金が増えないし基本的に人生を長くやることへの真剣度が低い。低み。でも働くことに関して意識がゆるく、とにかく生きることに対するやる気も薄く、さらにはつまらないことでいちいち悩みがちな人間が「これ買いたいもんだからとりあえず働くのもいいでしょ」という雑でシンプルな結論になるのは健康的かも知れません。

将来困ったらどうしようというか困るだろうからもっとなにかにつけリアリティをもって生きたいよぉとは思ってます。

 

まとめ

数年前に欲しいなあ〜でも高いんだよね〜と思った靴を、何回も検索してはどっかにないかと亡霊のように思っているので、意識につよく絡み付いたアイテムについてはちょっと頑張って買ったほうがいいなと思ってます。少なくとも試着して、本当にいるかいらんかジャッジする作業はしようと思います。それで「あ、似合わないかなー買わんでもええかな」と思ったら経済的得した気分になる。(得はしてない)

ツイッターの下書きが溜まる雑記

おぼえがきです。

 

最近、ツイッターで下書きをしては「この話、いま、ここで、この頻度で発信すると、私の長い友人知人(長期的プラベ鍵垢なのでだいたいがそれ)にとってなにもいいことがない、というかこの人アレやなと思われるのイヤだな」と思い、下書きに溜め込むことが増えてきた。

別に長い知り合いしかほぼいないフォロワーに好かれたかったり、いいこと(?)提供せなあかんと思ってツイッターやってるわけじゃないけど、あまりにもどうでもいい与太話を頻繁に呟いて今のわたくしの日常や思考を一方的に知っていただくのもやりたいわけではないんですよね。

私はツイッターを、最近の感想をなんとなく言語化して投げる、他者のそれをなんとなく察知する感じで、半分読み物、半分昼食を食べる時の食堂の雑談みたいに思ってるような気がする。

ご時勢的に、周りの人はどうでもいいことをあまり雑に頻繁にツイートしなくなってるので、私の極めてどうでもいい話ばかりが他者の目に入って、なんとなく目障りになるかもしれないとか思うという小心さもある。

私がツイートしようとしてやめたりやめなかったりすることは、最近あった些末な出来事とかについての個人的な感想とか考察を言葉にして吐き出す感じなので、人に伝える情報的価値も意味もない。

もっとどうでもよすぎて感想すらない無い話はさすがに直情的にツイートしたくなっても内容が雑なのでやめたほうがいいなと思うし、よくよくよくよく考えた方が良いシリアス・センシティブ話は、より一層慎重にツイートした方がいいかな〜と思う。個人が判断が割れるような話には触れるべきではない!ということではなく、最近その話ばっかりしてる感じやなあと見えるのもそれはそれで個人的にバランスがある。

頻度・内容からなんらかの感想を抱かれるのがイヤと言う方がやや正確である。実際以上に悩んでそうと思われたり、世の中に対して過敏であったり、逆に無神経なように見えるかなーとか、どうでもいいことを一旦考える。

マジでなんでそんなに気を遣ってツイッターやってんだよという感じですね。。日々の終わりに酒のつまみに作文するのはとても好きだけど、SNSに投げれる程度に推敲したり、日記などをつけるのは面倒なんですよね…。そんな時こそはてなダイアリーを使えよ…いやはてなブログなのか…ブログって言われるとなんかもうすこしアレじゃん…とか本当バカみたいなことしか考えてないし何もかもに対して真剣度がない。

 

そして自分がフォローしている人も、有名無名問わず、お前ばっか喋ってんじゃねーかと誰にも別に思わないし内容が見ていられないほどおかしいだろとも激しく思わないので、なんというか自意識過剰なだけなんですね。(あまりにも頻度と内容がアレな人は普通にフォローをやめるけどそんな人はほとんどいない。)

 

ここまで繰言しかないのでなにがなんだかと言う感じなんですが、日々の言語化したい気持ちと、アウトプットしてもよさそうな場(先述のツイッターおよびコロナ禍でほぼなくなったリアル雑な場での会話)のバランスが悪いので、普通に誰も見てないようなこのブログに書けることは書けばいいじゃんと思ったという話です。作文したいときはブログを書きましょう。少なくともこの内容は作文したくなったけど全然ツイートしたくない。

棚が作れない人間の気持ち

おぼえがき、兼・Twitterだとなげ〜これ人に伝える意味ね〜、けどブログだとそこまで量もないし中身ねえ〜、と思うようなものもブログで投げても良い気がした。けっこう残すか残さないか程度の作文の時間が日々ある。

2,000字超えたら残す甲斐があるみたいな感覚もあるけど、その設定がそもそも長い。というか中身などは常にない。

以下、ツイートのややリライトと、棚の話です。

 

4月の棚について〜厳しい指導者インマイマインド〜

棚を作ろうとして作れなかったので、「私は棚が作れない人間です…数日かけて計画し、十分な木材と電動工具があっても材の選び間違い・採寸失敗をし、しまいにはコーススレッドが足り無くて作業中断する人間なんです…」って泣きながら2000mmのネコのお腹に顔を埋めたい。ネコはいないので泣いてはいない。

縦軸が得意・不得意、横軸が楽しい・楽しくないのグラフを描くと、木工は完全に「不得意、楽しいと楽しくないの中間」なのですが、楽しくも楽しくなくもないのではなく、「単純に手を動かしたり考えたりするのは楽しい、けどできるようになりたいのにできなくてつらい」という双方向からの引っ張りの結果中間にあるやつです。

四の五の言わず数こなして上達しろ、という話ですね。大してやってないのにうまくやりたいとか言うな、と私にマジレスしてくる体育会系の人格、大抵いつもいるけどこの人どこから来たんだ。この人の指導方針基本的に厳しくてつきあいきれないんだよな。

ミニマルに生活をしているせいで、ついに自分の中の他人みたいな領分とのつきあいかた検討し始めてるの本当にアレだと思う。テレワークじゃないときの出勤では生身の人間との関わりをしっかり噛み締めてこようと思う。

 

その一週間後〜失敗して反省してるときの記録〜

木工すればするほど自分のことが嫌いになる。なぜ嫌いかというと、自分で「これよく考えておけば理屈としてわかるじゃないですか」というミスを大量に観測するからです。

しょぼい木材には細い木ネジじゃないとバキバキになるに決まってるだろぶっといやつを何本も打ち込むな、なんでキャスターひとつ違う種類のやつ買ってんの??そしてそれらの問題をリカバーせず、完成までもってくところが一番クズ!気づいた時点で作業を止めろ。

これ何度もやっては「向いてなさがすごい。しんどい。けど、もうわかったから次こそは…」って思っては数ヶ月後には忘れるのを繰り返しているのを思い出した。ネジひとつ選ぶのにも思考・判断・能力が必要なことを忘れてはいけない。

なお私物の場合、毎回作業は止めずにゴールしている。ゴールするな。

 

ここから最近の話〜木工得意ってな〜に?〜

先日、まともに木工ができる友人と話す機会があったので、ふと半年以上前の棚のことを思い出した。

「棚とかテーブルとか作ってる時ってどんな気分?気持ちいい?楽しい?」と聞いたら、ええ…?みたいな反応をされた。

友人は少し考えてから、「予定したことが予定通りに進む気持ちよさはある。けど作品を作るとか、絵を描いたりするときの楽しさみたいなのとはけっこう無関係ですね…」と言った。そうなの〜〜ってなった。本人はあれもこれもうまくいって最高だぜ、という快感があるのかも知れないと思っていた。ないのかよ。

たしかに私も木工棚作りには「私の実用に耐えるであろう」以上のものを生み出す喜びや興奮を期待してない。予定どおりに、正確に美しく完遂したいと思ってる。しかしそれがアホな理由でうまくいかないから変に複雑な気持ちになる。

友人は簡単な棚を作るときに、予定通りに行かない人間が持ってる不安や緊迫、そのうらはらの予想外の喜びがないと言う。要は慣れていることを慣れた手順でやっているのだ。

これは木工という分野自体がどうという話ではなく、私が不慣れで基礎力がないものに対して、非常に低いレベルでの困難やブレイクスルーを体験して、いちいち気分が振り回されているみたいな話だと思った。

要は単純にものすごく素人なんですね。「木工体験」程度のことを何度も何度もやっている。だから複雑だったり難易度の高いことをやってみようかなーとか、独自のデザインや工夫をここに入れたいなーという欲も、生まれる段階ではない。

しかしさすがに「やったことないです」をやや過ぎてるので、毎回白紙にならないで、いい加減慣れて欲しい。やったことないよりはやってんのに慣れの進展が遅いのは脳の不得意らへんの問題なんだと思う。

 

まとめ

途中で結論が出てたけど、そんなに棚が作りたいならもっと短期的に数こなせよって話だよね〜〜

絵も料理も勉強も運動も化粧も園芸も音楽もゲームもやればやったぶんだけ知識と経験と技術が心身に染み付いてわかるんだから、それと同じやろ、得意不得意以前にやってる時間が自分にとって十分ではない感です。また体育会系のセルフ指導者が出てきた。えーん威圧的でこわい。

2021年 お正月

日記兼おぼえがきです。ひさしぶりすぎる。もはやリハビリとかいうアレではないです。

 

冬休みが13日あった

盆と正月にはちゃんと休めることだけが私の仕事の数少ないお得ポイントだ。基本的に定額働かせ放題なので「サブスク」と同僚が表現しているような有様だが、まとめてとれる休みにいかに精神と身体を回復するかが本職をなんとか続けていくコツである。

 

他所にいかない

今年はそもそも人と会ったり遊んだりする予定はなかったが、本当に俗世との繋がりを持たずに過ごした。公共交通機関に一度も乗らず、自宅、近所の小売店、アトリエと近所の寺社仏閣にしか行かなかった。

 

大掃除の成功

社会とのつながりとして、ショッピングは結構した。結構というか欲望のままにしたのでやや反省している。

年末に加湿空気清浄機を買ったのだが、ぴちょんくんが「空気だけ綺麗にしてもねえ…」と冷笑してくるので、一念発起して大掃除・模様替えをしたら、今の家史上最高にバランスがいい感じになった。調子づいてIKEAの布団など収納できるボックスを通販した。明後日来る。なんとなく魔窟と化しているウォークインクローゼットの整理に着手できそうで期待が高まる。

空間が綺麗になったらいいにおいさせたくなるやんな〜と思って、家のディフューザーを買い足そうとしたら愛用の製品が廃盤になっていた。つらい。仕方ないので別のポプリなるものを買ったが、空気清浄機が隙あらば消臭しようとしてきて、喧嘩になるので適度に仲裁に入っている。まさかこんなことになるとは。毎日ぴちょんくんに「こいつは勘弁してやってくれ」と話しかけてる。

 

人に見せるつもりのない化粧

また、毎日のお楽しみとして化粧で遊んでいた。普段起きて15分で出勤という極限チャレンジをしているので、化粧品に課金したくってるくせに運用するための研究が足りてないのでは?ということで手持ちの化粧品のポテンシャルを確かめる・自分の顔のパーツとの相性を見極めるワークをやった。日々、どういう結果にしたいかを決めて顔に作画をする。結果、時短として優秀なもの以外の運用方法を確認できて良かった。そして使用期限がすぎてそうなものは思い切って捨てられた。

自分の顔をいじくる楽しさが高じてカラコンを買った。ナチュラルなルックの製品だが、カラコンをしている自分の顔を眺めて、黒目をでかくすると泣いた翌日みたいやな=白目の面積が減ることで目の開きが悪いように見えるなどと考える。これはどうなんでしょうか。

 

とりあえず制作するの精神衛生に良い

日々の過ごし方として一番やりたくったのは、なんか作品をつくることである。2020年はつらい一年だったので、つらさを紛らわすためになるべくドローイングをしたり、作品の構想を練るようにしていた。色々なものが変わったり遠ざかってしまう中で、数少ない完全に自己裁量であつかえることとして、なにかを見つめて描いたり、思ったことに形を与える方法を発想したりすることは自分を保つ(とは?)ための救済的な行動だった。

とはいえあんまり元気や時間がなく、なかなか形にできない。アイデアや習作ばかりが溜まっても仕方ないので、この休みで形にしないといつまでもしないだろうと思ってやってみた。時間のかかることや予想外のことを含めてダラダラ制作してみる。

なんかうまくいかないなー、これ面白いんかな?こうしたいんだけどどうするのが合ってんのかな?と思ったら、アトリエを共有してる人がいるときに気軽に相談してみる。

自分の手元で、言語的じゃないものを作るためにあーだこーだとやって上手くいったりいかなかったりすると、変にいじけたり、かしこぶる気持ちがなくなって、めちゃくちゃ健康に良い。

休みの終盤には普段ちょっと神経過敏で興奮して生きすぎやな…と気づく。仕事してるとアドレナリンドクドク出す中毒性みたいなのも本質的には嫌いじゃないし、向いてなくはないんだけど、ずっとやってるとギンギンな刺激感がいきすぎて職場に爆発物が投下されてぶちこわれる夢などを見るようになる(先月の実話)。

なんか自分の脳とか体にやさしくて、多くを考えすぎない現実的で穏やかな人間性をせわしい状態のときも持っていたいな!と思うのでこれを2021年の目標にします。過度に考えないことはばかになることではないと思うんですよね…

あーーーーーん仕事いきたくな〜〜い。

休みの最終夜、アトリエにイタチが出ました。なんかフワフワしてなくてツルッとしててキンチョーした。

 

 

休み中に摂取して楽しかったコンテンツおぼえがき

・JOKER

映画は体験的良さがあるものが好きなんですが、色々見た中で一番体験的に記憶がある。

伊集院光 深夜の馬鹿力

普段も愛聴してるけど、休み中でも変えなかった数少ないルーチンだったのでリアルタイムで楽しみにしてるんだなーと再認識した。

ダムタイプ 2020

配信。バッキバキなものを観るのはよい。

・無敵の未来大作戦

再読。ここぞ!というエモ〜いシーンが美しいところが特に好き。

・夢中さ、君に

思ったよりBLだったが、他者に興味を持つ楽しさの描き方がよくてタイトル通りだった。

・世間とズレちゃうのはしょうがない

夜のラジオと昼のラジオでは振る舞いが変わる的な話が興味深かった。いま個人的に、仕事とプラベの自分の振る舞いの違いに関心があるので。

いとうせいこう×みうらじゅん ザツダン!

まじでレジェンド仲良しすぎてすごい。

・Mellow Waves

ひさしぶりにコーネリアス聴いたらいつも良くてすごい最高〜だった。

・狼青年

JUMPの売る気満々作品ヤッター!ひかるくんとアブちゃん・マリエさんとのラジオ聴いてからだと、八乙女担としてはなお最高に摂取できる。自担がガチってる仕事が良い内容だと、本当〜〜にドルオタ冥利に尽きます。

・femme fatale

戦慄かなのさん本人がいつも超気合い入ってるのも好きなんだけど、並行して音楽性は刺激マシマシ路線じゃない味わいにしてるバランス、プロデュースセンスすごいなー面白いなーと思う。

 

まとめ

好きなものとやりたいことをベロベロに摂取するとなんつうか人間としてクリーンになると思います。自分のグッドコンディションを見極めるために回復手段持っておいて良かった。あー仕事行きたくない。闘士に戻りたくない。

なんたってアイドルって良いですよね

‪ ‪おぼえがきです。

ドルオタ垢でツイートしようとしたら、思いの外長文ツリーになって「すべてをツイート」ボタンが半透明になってツイートできなくてめんどくせーーと思ったので、ブログの方に投稿します。

 

2月くらい以降のドルオタの心情まとめ

‪ここ数ヶ月、アイドルとは?!推すとは?!としみじみ考えることがある。

興味のあるユニットに、大なり小なりの変化があったり、身近な友人のオタクが突然新しいコンテンツを好きになったりする。‬ ‪

私自身のふるまいや気持ちとは関係なくものごとの変化がある中で、私自身が楽しいと思うことや、好きなもの・嫌いなものは変わらなく、外部刺激に意外と影響されなかった。価値観的には基本変化がない。好きなものは変わらず好きで、そうでもないものはある程度そのまま。‪

 

オタクは仕方ないけど今暇を持て余してる

‬まあとにかく現場という、理性とお金が吹っ飛び、仕事のやり方にも影響してくるレベルのクソデカな刺激がなく、言ってしまえば割と暇なもんで、好きなように情報を収集している状態である。

 

アイドル自体は忙しい

そんな中で、アイドル自身には大きく動きがある。‬‪アイドル本人が立場を変えるが、おたくは心情の吐露と情報収集と地味な課金以外にやれることがあんまりない。

変化したアイドル本人やメンバーの行動や心の機微に注目したり、自分以外のオタクの反応を見たり、周りのグループやメンバーと比較して差異をどう感じるか、今推してないけど推せそうな界隈の情報をディグってみたり、脳ばかりが活動している。‪脳活の結果、課金したり、公式に反応したりはします。

 

なにが好きなんだっけか

そんな中で変わらず好きでいられると確信するもの、なんだかちょっとこのまま興味のテンションを維持できるのか不安になるもの、新しく好きになれそうなものが身の回りにある。

それらをなんで私はそう判断したのかな?と考えるのである。‬

 

とりあえず手越さんもNEWSもこのまま好きだなー発信してくれる情報全部愛おしいなあーと思い、戦慄かなのさん、ZOCにはこれからどんだけどれに興味を持つのだろう(ZOCはかねてから推しを決めきれず箱推しだけど、とてもリアルタイムで注目してる、かなのさんがいなくなったら割と見え方が変わるだろうからどうなるのかまだわからん、かなのさんは基本的に好きです)、友人が突然激しく沼落ちしたおかげで情報がガンガン流れてくるせぶちに私は今後ハマるのだろうかと、観測するものが多い現状です。ももクロあかりんのソフィスタンスアンバサダー仕事も盛り上げたいし、JUMPのリリースラッシュを追うのも楽しい。ドルオタは無責任で楽しく、本当に趣味として良いなあと思います。感情移入しすぎると考えることが多くて頭が混乱して疲れてくるので、ほどよく夢中になっていたいところ。

 

まとめ

アイドルの皆さんが同じ時を生きる人間として日々色々思いながら行動してくれることに感謝し、誠実なオタクとして応援していきたいですね…。色々あるけど好きな人みんな好き!が良いです。お金は使おう。

コロナ騒動の振り返り・インターネットに影響され話

おぼえがきです。

数ヶ月にわたるコロナ騒動の中で様々な体験があった。まだ騒動は継続中ですが、長いのでとりあえず個人的に振り返ります。

体験と言っても足したり新しく始めたりは極端に少なく、引き算、過去の習慣への回帰、物事の捉え直しといったことが多かったと思う。そしてインターネットに振り回された数ヶ月だった。

 

引き算

私は仕事柄と、もともとインドア適正が高いので、かなりしっかりと自粛をしていた。在宅勤務も可能だったのでガンガン在宅した。出勤を引き算!在宅は最高!だが、わりと浦島太郎になる気はする。

プライベートに関しては周りも似たような感じの人が多いので、未だに遊びに行ってもよかろうもんやろか…と二の足を踏んでいるようなムードだ。しかしいくら単独行動自宅待機が得意と言っても、あまりにも人とコミュニケーションをとらないと気持ちが陰々滅々としてくる。私は人類だったのだ。当たり前の話だ。

 

過去の習慣への回帰

少し離れていたことにはたっぷりと時間を使った。手間のかかる料理、庭いじり、暇なので絵を描く(暇なのでがポイント)、漫画を買って読む、女子アイドル、サブカルなど。おかげで多少、性格は学生のときのように内向的で意地が悪くなり、社会性は落ちた。昨年度あたりは仕事のふるまいが内面化されていることにかなり疲れていたので、元に戻ってきて自分では良かったと思う。しかし現在、人当たりが多少悪く失言が多くなっている。周りの人には申し訳ないが、元々性格がわりとアレなのを理性でなんとかしていただけなんです…

 

Twitter等を見まくってしまう

そして今まで以上にやりまくったのはTwitterを主としたネットサーフィンである。これはせざるを得ないといってはあれですが、私はほぼテレビを観ないのと、新聞社のツイートが職場の公式周知より早いのでTwitterはガンガン閲覧していた。時間があったし不安だったし、もともとインターネットにべったりな人間なので過剰に閲覧してしまった。

なんかもう色んなことが起きるので、TLは雨の翌日の鴨川のように、日々どうどうと流れていた。人と会わないもんだから、知人友人の様子が観測できるのもTwitterだった。

私は個人的なこと以外はあまりアレコレと呟かないことを処世術にしているアカウントなので、基本はダンマリもしくはクソ話しかしていなかったが、本当に色々なことがあった。人が考えていることや行動様式が分かるのは面白いし、私自身も色々悩ましかったり、腹を立てたり、斜めから見たり、様々な影響を受けた。かつてないほど、目の前じゃないところで起きていることが身近であった。近所に住んでる人も遠くに住んでる人も知らん人も同じ話題に言及し、同一線上に並んでいるようで、頭がクラクラした。

 

生活の仕方、政治、人種、ジェンダーにまつわるもの、ただのクソ話、エンタメ、芸術などに関してワーワーと議題に上がっては一定の結論が出ず意見が割れるので、ひととおり自分の中でも考えたりした。情報収集とディベートの繰り返し。

同時にこれはやらんでいいやつなんだが、まずい人ウォッチングをする。見ても毎回「ああ…」としかならないが、バズってるツイートに無茶な内容のリプをしている人のツイートを延々遡って、個人像を探るのマジでなんの得にもならないからやめたほうがいいのに物見遊山感覚で見ちゃうのやめたい。この世には色んな人間がいる…と思う。

 

物事の捉え直し

それで、Twitter等で新しい価値観や真理のようなものを発見したかというとあんまりそういうわけではなかった。

かねてから自分の中で気にかかっていたこと・考えていることを、芯を捉えた表現をしている人に学んだり、自分で言語に落とし込んだりする作業がメインだった気がする。ツイートはしないが、考えはする。

それで少し知覚過敏みたいになっている部分もある気がする。世の中の物事のありかた、塩梅にどれほど反応してもいいのか、実生活でそのようなことを言うのが良い時とひっこめて置いていい時とがあると思っているのだが、ちょっと今は精神性優位かつ社会性が下がっているので油断をすると良くも悪くもはっきりとしたことをぺろっと言いそうなのは気をつけたい。

こんなブログを長々と書いてるのはちょっと出たので、反省しているのです。まずい事にははっきり受け入れ難いと言った方がいいが、「見ようによっては」レベルのものにバキバキに反応するのは別に良くないと思う。

ネットはかつてよりもかなり現実寄りになったけど、完全なる現実ではない。

 

まとめ

色々考えましたが、最近のTwitterのムードはなんか荒削りで危うい感じで落ち着かないなーなんだろうなこれ?と今日考えてたんですが、「コテハン夏厨だらけの荒れてるスレ」に似てると思った。そう思ったらかなりいちいち悩まなくて済む。これを思いついたことをおぼえがきしたかっただけです…

コロナ騒動の悪口

日記です。

 

タイトルがつかない程度のもやもや

新型コロナウィルス略して新コロの影響を真正面から受けている。

今すぐ会社がド借金抱えて倒産するとか人の生死に関わるということではないのだが、私の仕事とプライベートが今回の騒動において迫害されがちな、いわゆる「不要不急」のもので固められているので、日々具体的に行動が変えられている。

集団で集まる、人が関わる、美術や音楽、教育・エンタメ、なくても死なない(死なないけど、生きることに関してはさあどうか)、といったいわゆる文化というものに関わるので、本筋にしていたことがまっさきにフレキシブルにぐにゃぐにゃ歪ませられている。

感情や感覚、価値観はノーカウントにしとこや!安全第一!ということにされることがムカついて架空のコロナ騒動氏がいるなら「お前は私が大事にしているものをなんだと思ってるんだ」と言ってしばいてやりたいが、そんなやつはいないのでただただ鬱屈した気持ちになる。

 

もちろん私の行動で死ぬような病気になる人が本当に1人でも減るのならそれはいいのかも知れないが、ただただ閉塞を是とする状況に加担して、同じく状況がしんどそうな周りの人と「仕方ない」「理解して」と言い合いながら着地点を探ることや、自責じゃないことで迷惑をかけた相手に「突然のことで申し訳ありません」などと平身低頭で言うことを続けていると心が元気をなくしてゆく。(「わかっています」と言ってくれる人たちの優しさは本当にありがたいが)

 

そして、年度末を限りにあらゆる事情でしばらく今までのように会うことは出来ない人たちがいて、4月までは今まで通り楽しいことしようね、盛大に楽しく打ち上げようね、と言いたいのに、互いに気持ちの余裕がなく、気を使いながら、状況が許さずに忙しく過ごすうちにどんどん時間が経つことにも悲しさを感じる。毎日を大事に想いを馳せつつ、来るべき新年度に向けてゆっくり過ごしたいのよ三月は。

混ざりっけのない真水のような個人間の別れを堪能したいのに、気持ちは臨戦態勢でイライラするし、振り回されてバタバタするし、外圧に凹まされて気持ちが閉じがちになってるうちに、時間が雑に過ぎていくことにもヤダなあと思うのだが、これはこれで記憶に残ることになるのかな?わからん。けど現時点では嫌だ。

 

私は私として価値観や判断・特性があって、生きていく上で譲れないことをできるかぎりやらないように丁寧に場所選びをしてきて、その過程で思考・議論できるならやる、できたらいいのになを辛いけど納得して諦める、良いか悪いかを自分の頭で考える、というような、できていたことができなくなってるのが本当にクソじゃんって思う。自分の本質にまで社会が手を突っ込んできて乱されるの本当にやめてくれー!と思う。なんだ!

 

まとめ

私が好きな人と私が心身共にピースフルな世界に生きたいね。この世の地獄というほどでも無くても、ゆっくり滅していく世界が世紀末感あるのでめちゃくちゃお金持ちな人、見たことないくらいすっごいでっかい大仏建立して!景気良いやつよろしく!見にいくから!